マーケット・インとプロダクト・アウト
最近マーケティングの意味について話をしていた時に、若いリサーチャーから「GAFAはプロダクト・アウトの企業といわれている。現在ではマーケット・インの思想は限界があるのではないか」というような質問をされて、当惑したことがありました。
そのときは、GAFAをプロダクト・アウト思想の企業と考えるのは、「マーケット・イン」を「顧客の顕在的なニーズのみに限定して捉えている」という意味で、適切ではないのではないか、と答えたのですが、気になったのでちょっと調べてみました。
そもそも、「GAFAはプロダクト・アウトの企業」という認識も私にはなかったので、ググってみると、確かにそのように書いてあるサイトが見つかります。もっとも、そのような記述は英語で検索すると見当たらないので、日本に特有のようです。
プロダクト・アウトをwikipediaで見るとそのはずで、プロダクト・アウト/マーケット・インは「日本で生まれた抽象概念」と書いてあります。
そのときは、GAFAをプロダクト・アウト思想の企業と考えるのは、「マーケット・イン」を「顧客の顕在的なニーズのみに限定して捉えている」という意味で、適切ではないのではないか、と答えたのですが、気になったのでちょっと調べてみました。
そもそも、「GAFAはプロダクト・アウトの企業」という認識も私にはなかったので、ググってみると、確かにそのように書いてあるサイトが見つかります。もっとも、そのような記述は英語で検索すると見当たらないので、日本に特有のようです。
プロダクト・アウトをwikipediaで見るとそのはずで、プロダクト・アウト/マーケット・インは「日本で生まれた抽象概念」と書いてあります。
QC(品質管理)由来の概念
もう少し調べてみると、どうもプロダクト・アウト/マーケット・インは、日本で特有の発展を遂げたQC、製造業の品質管理手法に由来するようです(QCの延長線上にTOYOTAの「カイゼン」とか「カンバン」があります)。英語で Product outを検索すると、出てくるのは品質管理関係の論文で、つまり日本由来の概念がQCの分野で伝わっていることがわかります。
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QCが製造工程を超えて全社的な品質管理思想(TQC=Total Quality Control)に展開し、また自動車や耐久財が普及して需要が一段落し、厳しい競争市場になった頃(おおまかにいえばオイルショック後、1970年代)に、プロダクト・アウト/マーケット・インという概念がQCに導入されたようです。
つまり、少ないバラエティの製品を大量生産し、企業の製造・在庫管理工程に合わせて供給していた(プロダクト・アウト)時代から、ユーザーの多様化したニーズに合わせて製品を製造し、顧客の望むタイミングで供給する(マーケット・イン)時代に移った、品質管理手法もそれに合わせなければいけないというわけです。
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QCが製造工程を超えて全社的な品質管理思想(TQC=Total Quality Control)に展開し、また自動車や耐久財が普及して需要が一段落し、厳しい競争市場になった頃(おおまかにいえばオイルショック後、1970年代)に、プロダクト・アウト/マーケット・インという概念がQCに導入されたようです。
つまり、少ないバラエティの製品を大量生産し、企業の製造・在庫管理工程に合わせて供給していた(プロダクト・アウト)時代から、ユーザーの多様化したニーズに合わせて製品を製造し、顧客の望むタイミングで供給する(マーケット・イン)時代に移った、品質管理手法もそれに合わせなければいけないというわけです。
コトラー批判=ポストモダン・マーケティングとの混乱
「GAFAはプロダクト・アウトの企業」というような論の中には、「マーケット・イン」の限界、顧客志向批判、顧客の意見を聴くこと=マーケティング・リサーチ不要論といった考え方がみられます。
これらには、マーケティングの文脈でいえば、スティーブン・ブラウンら1990年代以降の「ポストモダン・マーケティング」論者によるコトラー批判に近いことが書かれているのですが、ブラウンらがサービス業中心の時代におけるマーケティングについて、教条的な「コトラー式」を批判したのに対し、なぜか1960年代以前の製造業における「プロダクト・アウト」概念が復活しているという、日本特有の混乱・ねじれがあるように思います。
確かに、ブラウンの”Torment Your Customers (They’ll be Love It)”(2001)~顧客中心主義とコトラー批判の論文~では、脱顧客中心主義のマーケティング思想として “RetroMarketing”という言葉を使っており、ある意味では復古的と言ってもいい面もあります。
が、本来的にはブラウンの議論はマーケティングの中の議論、つまり「マーケット・イン」の内側の議論のように思います。実際、ブラウンの言うRetroMarketingは、企業側の都合では全くなく、顧客をじらす、驚かす、裏切るといった、あくまで対顧客の関係性から考えられています。「顕在的な顧客の声」からさらに一歩進めて顧客を考えている、というのが言っていることのように思われます。これを「プロダクト・アウト」というのはミスリーディングでしょう。
ちなみに、QCの世界では、プロダクト・アウト~マーケット・インからさらに進んで「カスタマー・イン」と言っている文献もあります。品質管理の思想も一層顧客に近づいているわけです。
前述のブラウンにはAlan Smithee名義(映画ファンならご存じ)での”Kotler is dead!” (1997)という面白い論文(というかエッセイ)もあります。
コトラーの名誉のために付け加えると、ドイツのポストモダン・マーケティング論者ブリュメルフーバーの”Goodbye and good luck, Mr Kotler”(2007) によれば、コトラー自身はすでにポスト・コトラー的なマーケティングに移っており、批判すべきは「教条的なコトラー・フォロワーたち」だ、つまり消費者の意見を古い教科書通り集めて満足しているマーケター、リサーチャーが時代遅れなのだと言っています。こういうことってあちこちの世界でありますね。
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これらには、マーケティングの文脈でいえば、スティーブン・ブラウンら1990年代以降の「ポストモダン・マーケティング」論者によるコトラー批判に近いことが書かれているのですが、ブラウンらがサービス業中心の時代におけるマーケティングについて、教条的な「コトラー式」を批判したのに対し、なぜか1960年代以前の製造業における「プロダクト・アウト」概念が復活しているという、日本特有の混乱・ねじれがあるように思います。
確かに、ブラウンの”Torment Your Customers (They’ll be Love It)”(2001)~顧客中心主義とコトラー批判の論文~では、脱顧客中心主義のマーケティング思想として “RetroMarketing”という言葉を使っており、ある意味では復古的と言ってもいい面もあります。
が、本来的にはブラウンの議論はマーケティングの中の議論、つまり「マーケット・イン」の内側の議論のように思います。実際、ブラウンの言うRetroMarketingは、企業側の都合では全くなく、顧客をじらす、驚かす、裏切るといった、あくまで対顧客の関係性から考えられています。「顕在的な顧客の声」からさらに一歩進めて顧客を考えている、というのが言っていることのように思われます。これを「プロダクト・アウト」というのはミスリーディングでしょう。
ちなみに、QCの世界では、プロダクト・アウト~マーケット・インからさらに進んで「カスタマー・イン」と言っている文献もあります。品質管理の思想も一層顧客に近づいているわけです。
前述のブラウンにはAlan Smithee名義(映画ファンならご存じ)での”Kotler is dead!” (1997)という面白い論文(というかエッセイ)もあります。
コトラーの名誉のために付け加えると、ドイツのポストモダン・マーケティング論者ブリュメルフーバーの”Goodbye and good luck, Mr Kotler”(2007) によれば、コトラー自身はすでにポスト・コトラー的なマーケティングに移っており、批判すべきは「教条的なコトラー・フォロワーたち」だ、つまり消費者の意見を古い教科書通り集めて満足しているマーケター、リサーチャーが時代遅れなのだと言っています。こういうことってあちこちの世界でありますね。
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